【高村先生】第一章比喩表現解説(2.編)

※「比喩=対象を別のものに例えて表すこと」だと理解して使用しています。厳密には比喩ではない表現もあるかもしれませんがご了承ください。


① 比喩表現解説[2.緋色の逢瀬編]


1. 他の部員が下校する中、俺は昇降口に背を向けて、夕焼けに染まる廊下をひとりで渡っていた。窓枠に残った雨粒の影がぽつぽつと床に落ちていて、まるでパンくずのようにも見えてくる。その道しるべを辿って俺は、誰もいない美術室へ到着した。

└グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』のパンくずの件から発想しました。雨粒の影が落ちるくらい、彩度光度の高い夕焼けに照らされた廊下がイメージできたら嬉しいです。


2. ふと入口側の内壁に目をやると、窓から差し込んだ夕陽が一面をオレンジ色に塗っていた。そこへ窓枠の四角い影が落ち、まるで額縁を並べたようになっている。俺にはその光景が、教科書で見た〈赤・青・黄のコンポジション※1〉という作品に似て見えた。

└これは比喩ではないですが、一応解説のために載せました。〈赤・青・黄のコンポジション〉とはこちらの作品です↓

(画像引用:アートペディア様)

私が高校生の時にも、教科書の近代アートのページに載っていた覚えがあったので、リアリティが出るかなと思い作中に登場させました。武良波の説明で「あぁ!」となればいいのですが……。


3. この二畳にも満たないシェアハウスで暮らすのは、どこかしらが欠けてるトルソー、絵の具に塗れたイーゼルファミリー、それにテカテカの筆と油壷の御一行。

└これも擬人化ですね。作者である私も中学生のころ美術部員で、社会人になってからもデッサン教室に通っていたのですが、どちらの美術準備室もかなり狭かったです。記憶に新しいデッサン教室の準備室は、二畳というよりも奥に行くにつれて狭くなる三角形タイプの部屋でした。そこに木製棚が設置され、いろんな道具が陳列されていたんですよね。その空間を「シェアハウス」、雑多なグループを「ファミリー」や「御一行」に例えてみました。トルソーだけそのままなのは、元から人の形をしているので擬人化する必要がないと考えたためです。


4. 俺はその言葉に頷くことができなかった。少しでも頭を揺らしたら、大切なキャンバスを濡らしてしまいそうだったから。でも結局、ゴツゴツとした手のひらに背中を叩かれて、ミニトマトにぬるい雨粒が降り注ぐ。

└涙の比喩ふたたび。室内なので雨が降るわけないんですけどね。梅雨時の話なので雨比喩を繰り返すことで雰囲気づくりになれば、と考えております。


② サブタイトルの色解説

“緋色(ひいろ)は、植物のアカネの根を原料とする茜染の一種で、濃く暗い赤色を茜色というのに対して、最も明るい茜色を緋色という。和訓では「あか」「あけ」とも読む。(Wikipediaより)”


紺青と同じくこちらもコナン映画のタイトルに使われていましたね。武良波が夕焼け照らす廊下を渡って、憧れのミニトマトの絵に会いに行くシーンからサブタイトルをつけました。元々は『緋色の再会』にしていましたが、その前の『紺青の別れ』と並べると「すぐ高村先生と再会できるんだ」と勘違いさせちゃうと思ったので『逢瀬』に変更しました。こちらのほうが「後ろめたい気持ちもありながら、我慢できずにこっそり会いに行く」感じがでて結果的にはよかったです。


比喩表現解説は、本編の公開に合わせて更新してゆきます。ではまた次回ノシ

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