【高村先生】第一章比喩表現解説(1.編)
こんにちは。この度Nolaノベルに掲載していた小説『学校を辞めた美術部顧問の高村先生』を大幅に加筆修正し、『憧れの高村先生は“藍”を与える魔法使い』として本日(7/6)より再公開いたしました。第一章から1500~3000文字を目安に分割して再投稿してゆきます。目指せ定期投稿。
いや、もう本当に疲れました;一度書きあがった小説をストーリーラインだけ残して再度書き直すってすごく大変ですね……! どれだけChatGPTくんに泣きついたことか(´;ω;`)
それでもやっぱり私の大好きな要素を詰め直しただけあって、以前公開していたver.よりも情緒豊かな作品に仕上がっていると思います!「わかりづらいかも」と思って省いた比喩表現も、「自己満足と言われても入れたいーっ!!!」とリミッター外して入れまくったので、比喩フェチの方がいたらもしかすると楽しく読めるかもしれません(私は比喩フェチです)
※「比喩=対象を別のものに例えて表すこと」だと理解して使用しています。厳密には比喩ではない表現もあるかもしれませんがご了承ください。
① 比喩表現解説[1.紺青の別れ編]
1. おかしいな……もう雨は止んだはずなのに便箋の上を雨粒が伝う。+また雨が文字を滲ませる。睨むように空を仰ぐと、夕陽の彩度がやけに高くて思わず目を細めてしまう。
└大冒頭から比喩りました。涙を雨に例えるのはよく見られる表現ですが、空を睨む描写を入れることで、主人公の武良波が泣くことを認めたくない気持ちとか、誰かに責任転嫁したい気持ちを表そうと思いました。
2. 五月雨時(さみだれどき)の昼休み、引きこもりがちなお天道様がやる気を出した五月晴(さつきば)れ。
└『梅雨の晴れ間の昼休み』を長々書きました。比喩というより擬人化かな? ひとつの文章に「五月(雨)(さみだれ・さつき)」の異なる読み方を混ぜるのも面白いなと思いまして……。でも本当は『五月雨時の昼休み、“五月(ごがつ)”病のお日様がやる気を出した五月晴れ』のトリプル五月にしたかったけど、作中の設定が何月なのか混乱するし、そもそもChatGPTくんにも「それ、わかりにくいので全部変えてください」と言われたので、ダブルで妥協しました。
3. すると突然、心臓に錆びたナイフが突き刺さるような感覚が襲ってきた。ようやく先生が笑顔を見せてくれたのに、溺れるような苦しみが押し寄せて俺は、次の瞬間もがきながら逃げ出してしまう。これじゃまるで、飼うつもりもない野良犬に餌付けだけする偽善者のようだ。本当の苦しみから先生を救えていないし、救うこともできない……そんな自分があまりにも情けなくなり、足りない酸素を求めて口が勝手に開いていった。
└「ような・に」祭りです。なんとも言えない切なさや、なにもできない虚しさを表現するにはどうしたらよいのか考えてこう書きました。前半は、鋭利なナイフに真っ直ぐ心臓を刺されるより、切れ味の悪い“なまくら刀”をギリギリ押し込まれる方が苦しむ時間が長いイメージから。
後半は、この前のシーンにて(先生を励まそうと)昼食のメロンパンを譲ってあげたけど、結局それってなんの解決にもなってないじゃん! という気持ちから「飼うつもりもない野良犬~」の比喩を入れました。更に前に「捨て犬のように怯えている」って比喩ったしね。
自分から高村先生に会いに来たのに逃げ出してしまった武良波の苦悩が伝わると嬉しいです。
② サブタイトルの色解説
“紺青(こんじょう)は、一般的には紫色を帯びた暗い青色のこと。この場合、色名はフェロシアン化第二鉄を主成分とする人工顔料紺青に由来しており、プルシアンブルー(プルシャンブルー、プラシャンブルー)と呼ばれるのも同じ色である。(Wikipediaより)”
コナン映画のタイトルにも使われたので、耳馴染みのある方も多い色名ですね。暗色(あんしょく)系の色味が武良波と高村先生の別れをよく表しているから、という意図もありますが、一番は『今生の別れ(こんじょうのわかれ/この世ではもう二度と会えないだろうという別れ)』とのダブルミーニングを意識して使用しました。武良波の抱く喪失感によく似合うタイトルだと思っています。
比喩表現解説は、本編の公開に合わせて更新してゆきます。ではまた次回ノシ
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